現在「メイド・イン・ジャパン」で連想される「高品質」というイメージは、過去に生み出された技術による功績であるところが大きい。
古い体制にある日本企業は、「先送り」や「検討」、「茶濁し」でその場を凌いできた
「我々には古くから守ってきた従来品がある」、「リスクを追ってまで行動する必要なし」と、先々を計算して腕組みし、なかなか動こうとしない。
が、そんな企業を尻目に、世間のニーズは目まぐるしく変わり続け、近年は「完璧な従来品」よりも、「若干の改善の余地ありでも新しいもの」がもてはやされるようになってきた。
ちなみに敢えて加筆するが、その世間のニーズには、“改善の余地のある従来品”という選択肢は、無論皆無である。
日本の国民一人当たりGDPが恐ろしく低い要因は、このあたりに有りそう。
この記事の筆者はアメリカの情報に詳しいみたいだけど、「若干の改善の余地ありでも新しいもの」にニーズがあるっていうのは本当だと思う。中国に住んでいても確かにそう思う。
このままだと日本やばい。